絵に関しての雑感

本日は藝大の合格発表の日?
受かった諸君はこれからは今まで以上に精進すべき。 しかし落ちた人たちに言いたい。 絵の勉強や習得は別に学校に行くだけが能じゃない。 大切なのは【表現活動を心から愛し続けること】。 プロになるのも、アマでいるのもそれはその人の運命。 ただひたすら表現し続けろ。


上から目線のツイートで、これを読んだ若い人は【カチン】とくるかもしれないけど、
でもやっぱり僕は、そう思うんだよね。

というのも以前、ツイッターで藝大受験に失敗して自殺しちゃった人の話を読んで、真っ先に思ったのは、
「死んじゃったらおしまいだろ」って、こと。

冷静に考えれば、絵の世界も音楽の世界も映画の世界も演劇の世界も、
アートに関わるあらゆる世界は、
「必ずしも成功者が有名大学を首席で卒業した訳ではない」んだよね。

特に映画の世界とか、世界的大監督って、異業種からの転属組が多かったりする。
絵だって、音楽だって成功者は、
別に専門的学校を卒業した人ばかりではないし、
学校なんて単なる【通過点】のひとつでしかなかったりする。


努力努力の積み重ねで最高位の大学に入るのは、確かに誇らしいことである。羨ましいことでもある。
でも世の中には、国家推奨のルートとは別の、
まったく新しい発想で登山をする人も現れる訳で、
そういうことも含め、専門の学校で学ぶ意味を考えて欲しい。


手前味噌だけど、僕の場合は美術系やデザイン系の学校に進学するという発想そのものが高校時代なかった。
とりあえず「手ごろな東京の会社」には入れれば「あとはなんとか」と、実に単純に考えていた。
二十歳の頃、某弱小劇団に関わっていた頃、たまに描く悪戯書きを座長が面白がり、エロ本出版社に持ち込んで、連載直前まで話が進んだことがある。
その条件が「座長が原作を描く4コマ漫画」という謎の企画だったので、最終的に【逃げる】ようにして断った。
それから10年後、その座長がどういう経緯か知らないけど某有名週間漫画雑誌で賭博漫画の原作を始め、大ヒットした。

成功には実力は当然として、運も必要だけど、切欠になる【人間関係】も実に必要不可欠である。
僕はあの時、たまたま、偶然、運良く、気楽に…、そのチケットを手にしたけどバスには乗らなかった。
あの時、状況に【乗って】いれば、僕のその後の人生は変わっていたかもしれない。


まあようするに人生なんてそんなものである。

しかし仮にあの時、自分が納得しないまま【原作付4コマ漫画】とやらを描いたとして、
僕はその仕事に納得したであろうか?
満足を得たであろうか?

【好きなことを仕事にする】とは、
事ある度にシビアな選択を迫られることになる。


僕は紆余曲折の人生があって、
54歳の現在、売るつもりが無いイラストを描き続けているけど、
この状況だって、今後の進展次第ではどう転ぶか分からない。

自分の経験からして、若い時に頭の回転が速く、手先が器用で、人間関係もそつなくこなすビッグマウスな連中は、
気がつくといつのまにやらアート的な環境から退散してる。

絵が巧いだけの人は大抵どこかで行き詰る。

感性だけで勝負してた奴は次第にリアルに時代とズレ始める。

プロとか、アマとか、
絵が巧いとか、下手とかは別にして、

40歳過ぎても精力的に創作活動を続けているのなら、
それはもう立派な才能である。



せっかく【絵を描く能力】を持って生まれたんなら、
死ぬまで絵は描き続けた方がよい。

しかし多くの人は、ある年代になると作品がパターン化され、自分に飽きてしまう。

自分を飽きないようにする為には、たくさんの雑種な体験や経験が必要になる。

学生時代からずっと絵しか描いたことのない連中の絵は、絵描きの目線でしかモノを捉えられない。
女性を知らず美人画を描いても、それは空虚な虚像にしかならない。



まあそういうことをつらつら考えてみても、
絵の学校なんて人生の【通過点】でしかない。

大切なのは、描くことを楽しみ、愛すること。

しかし本気で楽しみ、愛するには、相当な覚悟が必要になる。

コメント

人気の投稿