座右の銘


2013年3月に狭心症で倒れ、
予定していたカテーテル手術が巧くいかず、
ひと月入院を延長し、ひと月自宅療養していた時に【考えたこと】。
ま新しい公園でブランコを漕ぎながら「命短し、恋せよ乙女」と歌う気分でもなく、
結局自分の人生は「なんだったんだ?」と考えた末の言葉。

「人生戯(ざ)れ事(ごと)」

この一言に尽きる。

あの日、運良く救急車で運ばれていなかったら、今の自分はありえない。
つまりは【拾った命】なんで、もうこうなりゃ、野となれ山となれ、だよね。

あの時にすんなりカテーテルが成功していたら今の心境には至らなかったと思う。

あれは神様が意地悪をしたのか?
はてさて、神様が考える時間を与えてくださったのか?


死の恐怖に打ち勝った人間の心境は、どうやらどんなに歳をとった老人でも分からないらしい。
あの時、不思議と、すんなり、自分の死を認めてしまった自分も不思議なのだが、
たかだか100年前は人生50年の時代な訳だし、
江戸時代などは50代は【ラッキーアイテムに当たったようなもの】である。

そう考えられるようになったのは、落語などの古典芸能が好きだったから、
今と昔を比較して考えられる脳になっていたらしい。


長生きしたくても、さっさとくたばる奴はいるし、
死にたくてもいつまでも死にきれない奴もいる。

僕の場合は、
「生かされたんだから、生き続けるしかない」と考えるようになった。

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