平成最後の…

ひょっとした偶然で大人系の作品を制作している事務所に出入りするようになった時のこと。
自分から求めて事務所のドアを叩いたのではない。
知り合いの小劇団の座長に自主映画の出演依頼をした際、
「増田君、こんな事をしていては駄目だ」と説教され、紹介されたのがその事務所。FILM KIDS。

他の助監督のように大志を抱いて映画界に入った訳でなく、
自分探しの一環として「紹介されたから、こりゃ渡りに船」って感じだった。
今考えれば実に失礼な話ではあるが、
当時の僕は自分探しの真っ最中で、
「自分の中にあるナニモノか」の正体がまったく分からなかった時期。

事務所に通うようになったものの、最初は何をする訳でなく来客にコーヒーを入れるような事しかしてなかったんだけど、
そんなある日、物凄い猛烈なオーラを放っている人が現れて、いきなり初対面で、
「君が噂の気違いかっ!!」と、話しかけてきた。
流石にそれは失礼だろうと、僕はあからさまにムスッとしたらしく、
そしたら、
「いやいや君。気違いとはこの業界の最高の褒め言葉だよ」と、やたら人懐っこい笑顔で【説明】してくれた。
それが鎮西尚一監督とのファーストコンタクトだった。


先輩や同期の助監督のように映画の仕事がしたくてしたくて仕方なくてこの業界に入った訳じゃなかったので、
つまりは僕はその程度の品質の仕事しか出来なかった。
撮影では毎度毎度ありえないミスを連発してたんだけど、
何故か事務所でたまに顔を合わせる鎮西監督はニコニコしながら、
「君は昭和最後の無頼派だね」と声をかけてくれた。
というか、からかわれていた。


昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御された時に最初に思ったのが、
「もう鎮西さんに昭和最後の無頼はと呼ばれなくなる。ラッキー」だった。
年号が改まり平成になって一週間経たない頃、
鎮西監督が僕の顔を見るなり、
「おめでとう。君は平成最初の無頼派だよ」と命名されて、なんか物凄く疲れた記憶がある。


当時の僕は勉強不熱心だったので知らない言葉をそのまま放置する癖があった。
【無頼】という言葉も【無礼】の一種と勘違いしていた。


FILM KIDSから逃げ出したのは、簡単に言えば人間関係の板ばさみに対処できなかった自分の不徳にある。
当時、別の事務所の人からも声をかけて貰ったり、他所で仕事をすることも多くって、
ぶっちゃけそっちの方の仕事が気が楽だった。

でもよくよく考えると、FILM KIDSの千葉好二社長が裏で先方の事務所に「うちの増田をよろしく」と根回ししてくれていたおかげでもあった。


しかし結局、自分のケツを拭くことすらせずFILM KIDSから離れてしまった。
人生最大の汚点である。

当時、一般映画の美術を担当するスタッフから猛烈なラブコールがあり、
「ピンク映画なんか辞めちまえ。うちの手伝いをしろ」と何度も説教された。

人生の大きな岐路があったとすれば、あの時だったね、間違いなく。

初めて体験した大きい予算の映画で、その時は美術スタッフとして参加したんだけど、
たまに先輩たちが撮影現場に来ない日があったり、
「随分、一般映画もいい加減だな」と思ったりしたけど、
先輩助監督が「装飾(担当)の石田さんがカメラ横を離れたのを初めて見たよ」とか、
つまりはどうやら僕を映画美術業界に引きずり込む為に、
無理やり追い込むことで自覚させようとしていたらしい。

別の現場で美術の人に聞いたら「みんなひとり立ちするのに3年はかかっている」と言われた。
初めての現場でいきなりひとりで任されたとか、
冷静に考えれば破格の扱いだったらしい。


現時点で30年前の当時を振り返れば、間違いなくあの時に美術スタッフに転進していたら、映画の業界から逃げる事もなかったかもしれない。

しかし当時の僕の弱さは、FILM KIDSとのしがらみにきちんとした決着をつけられず、
優柔不断にすべてを【曖昧】にしてしまった事であった。


20代の最後の歳に東京から逃げるようにして実家静岡に戻った訳だけど、
喪失感の末に毎晩飲み歩き、完全なる自堕落生活を続ける。

だけど元来【何かを表現したい性質】なので、単調な自堕落にも飽きちゃう訳で、
結局は高校時代まで好きだった【絵を描く作業】をぼちぼち始めて、今に至る。






まあ確かに振り返れば無頼な日々であった。
しかし5年前に狭心症で倒れ、無頼を気取る余裕もなくなった。

散々迷いに迷って二度もリアルに死にかけて、やっとなんだか自分のすべき道が見えてきたのが2018年今年の正月。



そして今思うのは、無頼の看板は下げようということ。
今は頼れる友人が一人しかいないのが現実だけど、
今は奴に甘えていこうと思う。

そういえば30年前、
鎮西さんに「増田君。もっと甘えたまえ」「もっと人を利用したまえ」と何度か説教された。

確かにその通りである。
創作を続けるには誰かを頼るしかないし、
たったひとりで物は作れない。

長い時がかかってしまったけど、
少なくとも僕にはまだ創作意欲があるし、ノビシロも嫌んなるほど豊富。

だったら残りの時間はもう少し有意義に消費していこう。

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